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さらざん

On vit joliment.

元店主しげぞーのブログ
​「オンヴィジョリモン(よく生きる)」

結局のところ、自己決定力をどれだけ持てるか

25/1/2021

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地方(都市部でないところ)で生活を営むことがこれからの社会時代では強いと、私は考えている。

地方には長年無数の人たちが繰り返してきて確認された、淘汰圧に耐えた暮らしの知恵がある。さまざまな自然条件のなか何度も何度も試され「これなら大丈夫」と判断されてきた知恵は連綿と受け継がれ今に残る。それらは、決して時代遅れと呼ばれ捨て置かれるものではない。これらは地域の気候風土に即して最大限快適に生きられるように開発されてきた方法の結晶なのだと思う。それが、あちこちに、息も絶え絶えながら、まだ今なら残っている。

近年の数十年の一時的な通貨の好況とそれに伴う国際政治的な事情で日本は世界の先進国の仲間に加わっているが、短絡的・近視眼的・拝金的な現在の政治経済ではそれもいつまで続くかわからない。お金の世界が暮らしのすみずみにまで行きわたり、お金があればほとんどのことを実現できる時代となったものの、それは相対的なものであり、また人為的・恣意的なものであるということを忘れてはならないと思う。

お金は本来単なる道具である。人類きっての発明品だ。
活動を生み出し、成果物の取引を促し交換させることで、全体の富の総和は増える。お金は人間世界をより豊かにする。
お金があればものごとを実現できるということは、大変魅力的なことである。

ただ、お金の価値は市場によって決まる。
​そして市場は、人の気持ちというたいへん不確かで不安定なものによって左右される。
また、権力と結びつきやすい。

お金による自己決定力や自己実現力には、限界がある!

人は、お金そのものがほしいのではない。お金で自分の望むことを実現できるからこそ、お金がほしいのだ。お金の「価値変換」の機能がほしいのだ。あるいは「価値貯蔵」の機能でもよい。価値を貯蔵することができると、自分の好きな時に好きなものへ価値を変換することができる。
でもどれも、自分自身で決定し、実現することである。
結局のところ、人がほしいのは、自己決定力と自己実現力だ。

田舎で生きるということには、それがある、と私は思う。

(2へ続く)
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食べられるようになるまでの時間

15/1/2021

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何か食材があって、食べられるようになるまでは、本当はとても時間がかかる。
野菜には土がつき枯葉もありそれらを取らねばまな板にも載せられないし、肉も骨から外して調理できるサイズに切り分けないと鍋にすら入らない。米は稲穂から外して殻を剥きぬかを落としてあるからすぐに炊ける。
そば粉が粉になるまでも実は長い長いプロセスがある。もちろん麺になるまでも長い時間かかるのだけど。

買ってくるときは、それは他の誰かがすでにしてくれていて、食べられるようにするまでの時間はかからない。つまりその分の時間をお金という形で支払っている。
それを付加価値と呼んだりもする。
そうして分業化されたら効率は上がり確かにひとつひとつに食材に対してかかる手間と時間は、多少は減る。
でも、ゼロにはならない。
そしてそれは何かや誰かのエネルギーが使われていることには変わりない。

自分で食料を得て、それを食べられるように加工するということをし始めたらすぐにぶちあたるのが、この食べられるようにするまでとても時間がかかるという事実だ。
意外と気が付かない。
でも、もがきながらも色々な食材を食べられるように加工をしていると、ある時ふと気が付く。

生きるということは、食べることなんだと。

実はこれまでの社会の発展は、食材を食べられるようにすることをいかに効率よく省力化してきたかということにいきつくように思う。
その結果、私たちは大事なものを忘れたり置いてきてしまったりしてないだろうか。

食べることが生活の中心となるような社会は、どんな社会だろう。
いろいろと妄想を膨らましてみたい。
なんかきっと豊かな世界なんではないかなと思うんだけど、どうだろう。

(写真:自家製鹿ハムのスモーク、紅芯大根と三つ葉を添えて)

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ブログのタイトル「よく生きる」について

8/1/2021

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新しい年になり、新しいことを始めるのにはぴったり。
前々からSNSではない場で継続的に書ける場を作りたいと思いながらできなかったのでこれを機に作ってみる。
さていつまで続くかな。後先は考えずにまずやってみよう。

ブログのタイトルを何にするかを考えて上記のようにした。

もともとさらざん時代に鉄板やトンボなどを作る際、新しいブランドとして「C'est jolie.(セジョリ)」を立ち上げた。といっても大げさで、単にこれらのシリーズを、それまでの飲食物や菓子類と分けたシリーズにしたかっただけだ。
ガレットは「SOBACaféさらざん」、そば菓子類は「SOBA菓子工房さらざん」、そして道具類は「C'est jolie.」
C'est jolie.のガレット道具類のあとには、ガレットを載せるお皿、一緒に飲むコーヒーのマグカップ、ナイフフォークやお箸、テーブルウエア、家具、、、と暮らしのいろいろな雑貨類へと広げたかった。けどそれも途中で頓挫してしまったまま。

どれもこれも、中途半端だ(涙)
いや、今はまだ取り組みの途中ということだと自分だけは思っていたりする^^

C'est jolie.に込めた思いは、実は深い。
第1子を出産して育児する中で次第に事業を進められなくなって一度目の挫折を迎え、そこから立ち直ろうとしたときに、思い至ったのがこれ。
誰が言ってくれるでもなく、自分の人生に「ステキだね」と自分自身で言うことの難しさと大切さを噛みしめた。

フランスのブルターニュで出会った一場面で聴こえてきたセリフがこれだった。ある夫婦が自分たちで手入れした庭を眺めて、自分たちの仕事を客観的に評価していた。うぬぼれることなく良くないところはきちんと指摘して、良いところもきちんとほめる。
だって一所懸命したんだもの。自分でちゃんと認めてあげなきゃね。

さて、このブログのタイトル。
日本語では「よく生きる」という意味にしたかった。フランス語ド素人の私はgoogle翻訳でひいてみて、そしてかねてからのC'est jolie.にも絡ませたかった。もしかして間違っているかも。それでもま、いいや。通してしまえばいつの間にか正しくなっていたりするのだ。この辺の雑さというか強引さが実は外国のものを取り込む日本の得意のお家芸だったりしてね。

できるだけ長く続けられるといいなと、そんなに気負いせずにゆるゆる思いつつ、初めの投稿とします^^
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    さらざん元店主。

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    1 月 2021

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