地方(都市部でないところ)で生活を営むことがこれからの社会時代では強いと、私は考えている。
地方には長年無数の人たちが繰り返してきて確認された、淘汰圧に耐えた暮らしの知恵がある。さまざまな自然条件のなか何度も何度も試され「これなら大丈夫」と判断されてきた知恵は連綿と受け継がれ今に残る。それらは、決して時代遅れと呼ばれ捨て置かれるものではない。これらは地域の気候風土に即して最大限快適に生きられるように開発されてきた方法の結晶なのだと思う。それが、あちこちに、息も絶え絶えながら、まだ今なら残っている。
近年の数十年の一時的な通貨の好況とそれに伴う国際政治的な事情で日本は世界の先進国の仲間に加わっているが、短絡的・近視眼的・拝金的な現在の政治経済ではそれもいつまで続くかわからない。お金の世界が暮らしのすみずみにまで行きわたり、お金があればほとんどのことを実現できる時代となったものの、それは相対的なものであり、また人為的・恣意的なものであるということを忘れてはならないと思う。
お金は本来単なる道具である。人類きっての発明品だ。
活動を生み出し、成果物の取引を促し交換させることで、全体の富の総和は増える。お金は人間世界をより豊かにする。
お金があればものごとを実現できるということは、大変魅力的なことである。
ただ、お金の価値は市場によって決まる。
そして市場は、人の気持ちというたいへん不確かで不安定なものによって左右される。
また、権力と結びつきやすい。
お金による自己決定力や自己実現力には、限界がある!
人は、お金そのものがほしいのではない。お金で自分の望むことを実現できるからこそ、お金がほしいのだ。お金の「価値変換」の機能がほしいのだ。あるいは「価値貯蔵」の機能でもよい。価値を貯蔵することができると、自分の好きな時に好きなものへ価値を変換することができる。
でもどれも、自分自身で決定し、実現することである。
結局のところ、人がほしいのは、自己決定力と自己実現力だ。
田舎で生きるということには、それがある、と私は思う。
(2へ続く)
地方には長年無数の人たちが繰り返してきて確認された、淘汰圧に耐えた暮らしの知恵がある。さまざまな自然条件のなか何度も何度も試され「これなら大丈夫」と判断されてきた知恵は連綿と受け継がれ今に残る。それらは、決して時代遅れと呼ばれ捨て置かれるものではない。これらは地域の気候風土に即して最大限快適に生きられるように開発されてきた方法の結晶なのだと思う。それが、あちこちに、息も絶え絶えながら、まだ今なら残っている。
近年の数十年の一時的な通貨の好況とそれに伴う国際政治的な事情で日本は世界の先進国の仲間に加わっているが、短絡的・近視眼的・拝金的な現在の政治経済ではそれもいつまで続くかわからない。お金の世界が暮らしのすみずみにまで行きわたり、お金があればほとんどのことを実現できる時代となったものの、それは相対的なものであり、また人為的・恣意的なものであるということを忘れてはならないと思う。
お金は本来単なる道具である。人類きっての発明品だ。
活動を生み出し、成果物の取引を促し交換させることで、全体の富の総和は増える。お金は人間世界をより豊かにする。
お金があればものごとを実現できるということは、大変魅力的なことである。
ただ、お金の価値は市場によって決まる。
そして市場は、人の気持ちというたいへん不確かで不安定なものによって左右される。
また、権力と結びつきやすい。
お金による自己決定力や自己実現力には、限界がある!
人は、お金そのものがほしいのではない。お金で自分の望むことを実現できるからこそ、お金がほしいのだ。お金の「価値変換」の機能がほしいのだ。あるいは「価値貯蔵」の機能でもよい。価値を貯蔵することができると、自分の好きな時に好きなものへ価値を変換することができる。
でもどれも、自分自身で決定し、実現することである。
結局のところ、人がほしいのは、自己決定力と自己実現力だ。
田舎で生きるということには、それがある、と私は思う。
(2へ続く)