私は、自分のためにはあまり何もできないタイプの人間です。
自分のために何かをするというのは、なかなか難しい。
その代わりというか、自分以外の何かのためなら、重たい腰が上がる。
上げようという力が湧く。
駅前の商業施設で観光客にアピールして(特に外国人観光客に)、
最終的に都市部から離れた農村地・京北まで来てもらおう、
という先日出会った行政マンの話。
1時間以上かけて山道をやってくる先にあるものは、なにか。
それは、見せかけの繕った表面的な消費形態としての「農村」なのではないか。
そんな懐疑を心にねじ伏せて、その場は笑顔で切り抜けた。
しかし、ふつふつと怒りに似た感情がわいてくる。
私が車を走らせて、18時の時間に間に合うように一所懸命になるのは、
愛するわが子を保育所に迎えに行くからだ。
長い道を走っていくのは、信頼するスタッフが店にいるからだ。
お客さんがガレットを楽しみに来てくれるからだ。
友達に会いにあの道を走る人もあるだろう。
畑を教えてくれるおじさんに会いに行く人もあるだろう。
人とのつながりが、あの道を行く原動力になる。
あの人のために、車を走らす。
あの人がいるから、ちょっとくらい長くても行ける。
まだ何も関係性のない特に外国人観光客が、そんな原動力を持つまでに、
いったいどれくらいの時間が必要だろう。
そんな可能性は果たしてあるのだろうか。
それより働きかけるべきは、別の人たちではないのだろうか。
人にもっと農村に来てほしいのであれば、
すでに農村にいる人や、その農村と関係性のある人たちに、
その関係を温めるサポートをするほうが確実性はより高く、
そして継続もしやすい
早く目を覚ましてほしい、特に公を担う行政の人たちには、、
人とのつながりが、行動の原動力になる
自分のために何かをするというのは、なかなか難しい。
その代わりというか、自分以外の何かのためなら、重たい腰が上がる。
上げようという力が湧く。
駅前の商業施設で観光客にアピールして(特に外国人観光客に)、
最終的に都市部から離れた農村地・京北まで来てもらおう、
という先日出会った行政マンの話。
1時間以上かけて山道をやってくる先にあるものは、なにか。
それは、見せかけの繕った表面的な消費形態としての「農村」なのではないか。
そんな懐疑を心にねじ伏せて、その場は笑顔で切り抜けた。
しかし、ふつふつと怒りに似た感情がわいてくる。
私が車を走らせて、18時の時間に間に合うように一所懸命になるのは、
愛するわが子を保育所に迎えに行くからだ。
長い道を走っていくのは、信頼するスタッフが店にいるからだ。
お客さんがガレットを楽しみに来てくれるからだ。
友達に会いにあの道を走る人もあるだろう。
畑を教えてくれるおじさんに会いに行く人もあるだろう。
人とのつながりが、あの道を行く原動力になる。
あの人のために、車を走らす。
あの人がいるから、ちょっとくらい長くても行ける。
まだ何も関係性のない特に外国人観光客が、そんな原動力を持つまでに、
いったいどれくらいの時間が必要だろう。
そんな可能性は果たしてあるのだろうか。
それより働きかけるべきは、別の人たちではないのだろうか。
人にもっと農村に来てほしいのであれば、
すでに農村にいる人や、その農村と関係性のある人たちに、
その関係を温めるサポートをするほうが確実性はより高く、
そして継続もしやすい
早く目を覚ましてほしい、特に公を担う行政の人たちには、、
人とのつながりが、行動の原動力になる