私の尊敬する人は過去の人が多いのですが、現在の同時代に生きる人で尊敬している人に佐谷恭さんがおられます。その方のブログ記事「子どもと攻める」を読んで。
今、私は人生で転換期を迎えています。
これまで、結婚をして子どもを産み育てるという枠と、さらざんという事業をしていく現実的なフェーズと、目指すは世界平和とはいえある種の自己実現とのはざまで、生きてきました。
自分で生活していくことは、大人として当然なのだけども、それを結婚相手の経済的な基盤に依拠してきたので、現実は、事業を行っているというよりは高邁だが高額な趣味となってしまっていました。
趣味なんかじゃない。命かけてやってる。
そう自分では思っていても、これまでの結果は、その言葉のとおりとなってしまっていました。
しかし。
これから、私は、シングルマザーとなって、事業を継続して行い、引き続き自己実現を目指していきます。
そのどれもが、青臭く、未熟です。
それを痛いほどわかっている。
でも、それでも私らしく生きることを選ぶということは、その青臭さを貫徹することと同じことです。
腹をくくるときはもうとっくに過ぎて、もう実際腹をくくって覚悟はできているのだけれども、はてさて。
ではどのようなプロセスを経たらよいものか。
それが、なかなか見えてきません。
どれだけ崇高な目標を目指していても、現実には、子どもはおなかをすかし、店は営業日となる。
どの場所にどんな家に住んで、何時にどんな行動をするのか?
毎日の暮らしの流れは?
これまでの子育ての方法をなんとなくしか見聞きして経験してきていない私は、これから自分が自分の子どもに与える影響を、またその結果の責任を、おそれているのだと思います。
そして、まだまだ全然おぼつかない赤ん坊とさして変わらない事業なのだけど、それが秘めるとてつもない大きな可能性にもまた、おそれおののいています。
子どもと攻めるーーーー
この言葉は、まだ、今の私は不安が大きすぎて、まっすぐに向き合えないのだけど、でもきっと、青臭い私は心の奥底でこれを望んでいるのだとも、実感するのです。
この子に自分の姿を見せないで、誰に見せるんだろう。
まだ本当に、腹はくくれていなかったのかもしれない。
でもやはり、まだ、見えてこない…
今、私は人生で転換期を迎えています。
これまで、結婚をして子どもを産み育てるという枠と、さらざんという事業をしていく現実的なフェーズと、目指すは世界平和とはいえある種の自己実現とのはざまで、生きてきました。
自分で生活していくことは、大人として当然なのだけども、それを結婚相手の経済的な基盤に依拠してきたので、現実は、事業を行っているというよりは高邁だが高額な趣味となってしまっていました。
趣味なんかじゃない。命かけてやってる。
そう自分では思っていても、これまでの結果は、その言葉のとおりとなってしまっていました。
しかし。
これから、私は、シングルマザーとなって、事業を継続して行い、引き続き自己実現を目指していきます。
そのどれもが、青臭く、未熟です。
それを痛いほどわかっている。
でも、それでも私らしく生きることを選ぶということは、その青臭さを貫徹することと同じことです。
腹をくくるときはもうとっくに過ぎて、もう実際腹をくくって覚悟はできているのだけれども、はてさて。
ではどのようなプロセスを経たらよいものか。
それが、なかなか見えてきません。
どれだけ崇高な目標を目指していても、現実には、子どもはおなかをすかし、店は営業日となる。
どの場所にどんな家に住んで、何時にどんな行動をするのか?
毎日の暮らしの流れは?
これまでの子育ての方法をなんとなくしか見聞きして経験してきていない私は、これから自分が自分の子どもに与える影響を、またその結果の責任を、おそれているのだと思います。
そして、まだまだ全然おぼつかない赤ん坊とさして変わらない事業なのだけど、それが秘めるとてつもない大きな可能性にもまた、おそれおののいています。
子どもと攻めるーーーー
この言葉は、まだ、今の私は不安が大きすぎて、まっすぐに向き合えないのだけど、でもきっと、青臭い私は心の奥底でこれを望んでいるのだとも、実感するのです。
この子に自分の姿を見せないで、誰に見せるんだろう。
まだ本当に、腹はくくれていなかったのかもしれない。
でもやはり、まだ、見えてこない…