先日船井本社の運営するリレーコラムに書かせていただきました。
貴重な体験をもとに頑張って書きましたので、ここに転載します。
本リンクはこちら。船井総研はこちら。
「“愛のある対応”とは」
みなさんこんにちは。
私は「SOBACaféさらざん」というそばガレットとそばスイーツの飲食店を営んでおります。
今回、お店のお客さんでもあり実は人生の先輩と仰いでもいる正木さんからバトンを受け取らせていただきました。このような機会をいただけましたことに心から感謝いたします。
テーマは「愛」ということで、つらつらと書かせていただきますがどうぞよろしくお願い申し上げます。
愛というテーマをいただいたものの、私にそれを語れるのか疑問の状況におりなかなか筆が進まず、どうしたものか…と思っていたのですが、先日伺ったある老舗のすき焼き屋さんでこんなできごとがありました。
個室で仲居さんがブランド牛のお肉を1枚1枚焼いてくださるというスタイルでなかなか日常的には伺えないようなお値段帯のお店でしたが、その仲居さんの対応が悲しくなってしまうほどにぞんざいでご自分本位だったのです。
私はそもそもそれほど批評好きな人間ではなく、大体のことをそういうもんかなぁ、まあいいか、とスルーしてしまう性質ですが、あまりにひどかったので、大変ショックを受けました。この場でそのお店のクレームを申し上げたいのではないので細かな点は控えます。ただその後どんなことがあったのかをお伝えしたいだけですので、もうしばしお付き合いください。
私は普段飲食店を営んでおりますが、その日その時の出会いを大切にすることを心がけています。それはつまり、扉を入られたお客さまに入ってこられた時よりも必ず1グラムでも多く幸せになって扉を出ていただくこと、と理解してそばガレットとそばスイーツをご提供しています。そのおかげで日々を心豊かに積み重ねて来られていると信じています。
だからこそといいますか、お客さん視点としてだけではない見方で、今起きたことを見てみました。まだお若い彼女のこれからの人生、このお店に来られる次のお客さん、その連なりの結果としてのこのお店の将来。すると居てもたってもいられず、帰り際に、感じたことを彼女に直接率直に申し上げました。
私はあなたの今日のサービスを大変悲しく思った。
特別な空間で特別な食材を調理して、特別な時間を過ごしていただく。
あなた次第でその場はすばらしいものへとなるはず。
努力次第ではこのお店で一旗あげられるかもしれない。すごい未来が待っているかもしれない。
でも今日のあなたはその正反対だった。あれではプロフェッショナルとはいえない。
あの貴重なお肉をあれだけおいしく焼けるのだから、本当のあなたならできるはず。
だから自信を持って頑張ってください。
初めて出会ったそれこそ1時間半もない時間の中で少し同じ空間を過ごした人に号泣しながら諭そうとする私も私だな、とあとから振り返ると思います。また、申し上げた後かなりの疲労感があったのも事実です。でも、私とった行動は間違っていなかったと信じています。こののちの彼女の人生の少なくともお仕事をされる時間がより豊かなものになることを心から願い祈っています。
この一部始終をともに経験した連れ合いは、「愛のある対応だったね」と私に言いました。
これが愛なのかどうかは私も定かではないですが、もしかするとそうなのかもしれません。愛とは何かを考えたときに、相手のこれからを思って行う行為なのかなとぼんやりと思います。
翻って、自分の子どもに接する時に、叱るときと怒るときがあります。叱るというときには、出来事がなんであったかをよく見て子どもに真剣に向き合い、どう伝えればよいかを冷静に考えている自分がいます。このときには自分の姿を他人に見られているかどうかなど気になりません。
一方で、怒るというときには、出来事に対して反応して苛立っている自分がいます。できれば他の人に見られたくない自分の姿で、つまりはこれはよくないことであるとわかっているのです。何か出来事に対して苛立ち反応しているときには、今の自分の姿が人に見られても恥ずかしいと思うかどうかを考えてみると、ふっとトーンが落ち着いて、結果、怒ることが不要になり、その反応がどこかへ行きます。残念ながら、叱るより怒ることが多いと自覚しています。子育ての難しいところです。
スティーブン・R・コヴィー氏の著書「7つの習慣」の中で「反応と主体」というテーマで書かれた箇所があります。出来事に対して反射的に反応するのではなく、出来事と反応の間に隙間をもち、自覚・想像力・良心・自由意志をもって選択する自由があることが、人間をほかの生き物と分かち人間たらしめるのである、とされています。
愛のある対応というのは、出来事に対してこの4つの性質を経て選択された行動のことであり、それは自分の欲求を満たすための反応ではなく、相手のこれからを祈り励ます行動であると思います。
会計を済ませ店の扉を出る直前に、レジの店員さんにSOBACaféさらざんのショップカードを例の彼女に渡していただけるようにお願いしました。どこかで彼女が迷ったときに道しるべとなれるようにと願いを込めて。
貴重な体験をもとに頑張って書きましたので、ここに転載します。
本リンクはこちら。船井総研はこちら。
「“愛のある対応”とは」
みなさんこんにちは。
私は「SOBACaféさらざん」というそばガレットとそばスイーツの飲食店を営んでおります。
今回、お店のお客さんでもあり実は人生の先輩と仰いでもいる正木さんからバトンを受け取らせていただきました。このような機会をいただけましたことに心から感謝いたします。
テーマは「愛」ということで、つらつらと書かせていただきますがどうぞよろしくお願い申し上げます。
愛というテーマをいただいたものの、私にそれを語れるのか疑問の状況におりなかなか筆が進まず、どうしたものか…と思っていたのですが、先日伺ったある老舗のすき焼き屋さんでこんなできごとがありました。
個室で仲居さんがブランド牛のお肉を1枚1枚焼いてくださるというスタイルでなかなか日常的には伺えないようなお値段帯のお店でしたが、その仲居さんの対応が悲しくなってしまうほどにぞんざいでご自分本位だったのです。
私はそもそもそれほど批評好きな人間ではなく、大体のことをそういうもんかなぁ、まあいいか、とスルーしてしまう性質ですが、あまりにひどかったので、大変ショックを受けました。この場でそのお店のクレームを申し上げたいのではないので細かな点は控えます。ただその後どんなことがあったのかをお伝えしたいだけですので、もうしばしお付き合いください。
私は普段飲食店を営んでおりますが、その日その時の出会いを大切にすることを心がけています。それはつまり、扉を入られたお客さまに入ってこられた時よりも必ず1グラムでも多く幸せになって扉を出ていただくこと、と理解してそばガレットとそばスイーツをご提供しています。そのおかげで日々を心豊かに積み重ねて来られていると信じています。
だからこそといいますか、お客さん視点としてだけではない見方で、今起きたことを見てみました。まだお若い彼女のこれからの人生、このお店に来られる次のお客さん、その連なりの結果としてのこのお店の将来。すると居てもたってもいられず、帰り際に、感じたことを彼女に直接率直に申し上げました。
私はあなたの今日のサービスを大変悲しく思った。
特別な空間で特別な食材を調理して、特別な時間を過ごしていただく。
あなた次第でその場はすばらしいものへとなるはず。
努力次第ではこのお店で一旗あげられるかもしれない。すごい未来が待っているかもしれない。
でも今日のあなたはその正反対だった。あれではプロフェッショナルとはいえない。
あの貴重なお肉をあれだけおいしく焼けるのだから、本当のあなたならできるはず。
だから自信を持って頑張ってください。
初めて出会ったそれこそ1時間半もない時間の中で少し同じ空間を過ごした人に号泣しながら諭そうとする私も私だな、とあとから振り返ると思います。また、申し上げた後かなりの疲労感があったのも事実です。でも、私とった行動は間違っていなかったと信じています。こののちの彼女の人生の少なくともお仕事をされる時間がより豊かなものになることを心から願い祈っています。
この一部始終をともに経験した連れ合いは、「愛のある対応だったね」と私に言いました。
これが愛なのかどうかは私も定かではないですが、もしかするとそうなのかもしれません。愛とは何かを考えたときに、相手のこれからを思って行う行為なのかなとぼんやりと思います。
翻って、自分の子どもに接する時に、叱るときと怒るときがあります。叱るというときには、出来事がなんであったかをよく見て子どもに真剣に向き合い、どう伝えればよいかを冷静に考えている自分がいます。このときには自分の姿を他人に見られているかどうかなど気になりません。
一方で、怒るというときには、出来事に対して反応して苛立っている自分がいます。できれば他の人に見られたくない自分の姿で、つまりはこれはよくないことであるとわかっているのです。何か出来事に対して苛立ち反応しているときには、今の自分の姿が人に見られても恥ずかしいと思うかどうかを考えてみると、ふっとトーンが落ち着いて、結果、怒ることが不要になり、その反応がどこかへ行きます。残念ながら、叱るより怒ることが多いと自覚しています。子育ての難しいところです。
スティーブン・R・コヴィー氏の著書「7つの習慣」の中で「反応と主体」というテーマで書かれた箇所があります。出来事に対して反射的に反応するのではなく、出来事と反応の間に隙間をもち、自覚・想像力・良心・自由意志をもって選択する自由があることが、人間をほかの生き物と分かち人間たらしめるのである、とされています。
愛のある対応というのは、出来事に対してこの4つの性質を経て選択された行動のことであり、それは自分の欲求を満たすための反応ではなく、相手のこれからを祈り励ます行動であると思います。
会計を済ませ店の扉を出る直前に、レジの店員さんにSOBACaféさらざんのショップカードを例の彼女に渡していただけるようにお願いしました。どこかで彼女が迷ったときに道しるべとなれるようにと願いを込めて。