私は、負けたんだろうか。
今、京北の地をあとにするかどうか考えている私に、内田樹さんのこの記事は色んなものを突き付けてくれる。
http://blog.tatsuru.com/2017/12/05_1110.php
私もいわゆるIターン者、ここで言われるTURNS(ターンズ)の一人だ。
この土地に何のゆかりもない人間だが、縁あってこの地に店を開き、
子どもを育てるにはきっと良い環境だろうと、出産を機に移住もした。
それは、かねてからの理想とする生き方の具現化でもあった。
しかし今、また街の暮らしに戻ろうとしている。
事業をきちんと立て直すには、事業の核となる地にいるほうがよい。
一度休業を選んだ代償は小さくない。
もう一度五条から出直したい。あの店から始まったのだから、あの場所からもう一度興したい。
そのためにはあの近くに身を置くことが重要だ。
翻って、かつて理想とまで感じたこの地に思いを馳せると。
今この瞬間にも、この暮らしの端々に心の豊かさを感じる。
薪ストーブなんて最たるもの。炎の揺らめきに、実際の温かさ以上に人や自然とのつながりを感じる。
しかし、やはり、個人一人の力では及ばないものが時代の流れというものである。
自分に何かができるかもしれないと思うことは自由だが、それは若気の至り、浅はかなものだったと反省とともにしみじみと痛感する。
事業をおこし経営していくことでさえ大変な技量のいることなのに、根拠なく自分を信じていたこと、それが一番の間違いの始まりだった。
ただ、時代に取り残されたような土地でも、内田さんの言う「資本主義システムの『禍々しい顔』」は確かにある。
多数が時代の流れに乗って出て行ったときにその流れに乗らず出て行かなかった歪みにも似たものも追加されている。
単なる交換の手段だったはずの貨幣の、隅々まで行き渡ってしまったその功罪たるやいかに。
私たちは改めて、貨幣の役割というものを、広く明るいところで論じなければならないと思う。マイケル・サンデル教授のいうように(TED)。
しかしこの場所には土と直結した生きる力がある。余剰を分け合う仕組みもある。
貨幣に頼らずとも生きていける本質的な生の自信を感じられるシーンもある。
だから、この場所は、魅力的なんだ、とも思う。
京北を去るということになれば、私は資本主義システムに負けたと言わざるを得ないと思う。
それは、とても悔しいことだ。
でもそれは、諦めから出てくるものではない。
まさにその資本主義システムに向かっていくための力を得るために、そのスタートラインに立つために、選ぶ道なのだ。
そこから改めて見えるものも、きっとあるはず。
今、京北の地をあとにするかどうか考えている私に、内田樹さんのこの記事は色んなものを突き付けてくれる。
http://blog.tatsuru.com/2017/12/05_1110.php
私もいわゆるIターン者、ここで言われるTURNS(ターンズ)の一人だ。
この土地に何のゆかりもない人間だが、縁あってこの地に店を開き、
子どもを育てるにはきっと良い環境だろうと、出産を機に移住もした。
それは、かねてからの理想とする生き方の具現化でもあった。
しかし今、また街の暮らしに戻ろうとしている。
事業をきちんと立て直すには、事業の核となる地にいるほうがよい。
一度休業を選んだ代償は小さくない。
もう一度五条から出直したい。あの店から始まったのだから、あの場所からもう一度興したい。
そのためにはあの近くに身を置くことが重要だ。
翻って、かつて理想とまで感じたこの地に思いを馳せると。
今この瞬間にも、この暮らしの端々に心の豊かさを感じる。
薪ストーブなんて最たるもの。炎の揺らめきに、実際の温かさ以上に人や自然とのつながりを感じる。
しかし、やはり、個人一人の力では及ばないものが時代の流れというものである。
自分に何かができるかもしれないと思うことは自由だが、それは若気の至り、浅はかなものだったと反省とともにしみじみと痛感する。
事業をおこし経営していくことでさえ大変な技量のいることなのに、根拠なく自分を信じていたこと、それが一番の間違いの始まりだった。
ただ、時代に取り残されたような土地でも、内田さんの言う「資本主義システムの『禍々しい顔』」は確かにある。
多数が時代の流れに乗って出て行ったときにその流れに乗らず出て行かなかった歪みにも似たものも追加されている。
単なる交換の手段だったはずの貨幣の、隅々まで行き渡ってしまったその功罪たるやいかに。
私たちは改めて、貨幣の役割というものを、広く明るいところで論じなければならないと思う。マイケル・サンデル教授のいうように(TED)。
しかしこの場所には土と直結した生きる力がある。余剰を分け合う仕組みもある。
貨幣に頼らずとも生きていける本質的な生の自信を感じられるシーンもある。
だから、この場所は、魅力的なんだ、とも思う。
京北を去るということになれば、私は資本主義システムに負けたと言わざるを得ないと思う。
それは、とても悔しいことだ。
でもそれは、諦めから出てくるものではない。
まさにその資本主義システムに向かっていくための力を得るために、そのスタートラインに立つために、選ぶ道なのだ。
そこから改めて見えるものも、きっとあるはず。